東京高等裁判所 平成11年(行ケ)309号 判決 2000年9月04日
原告
沢井製薬株式会社
代表者代表取締役
【A】
訴訟代理人弁理士
【B】
同
【C】
被告
三共株式会社
代表者代表取締役
【D】
訴訟代理人弁護士
竹田稔
同
田中成志
同弁理士
【E】
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第1当事者の求めた裁判
1 原告
特許庁が平成10年審判第35358号事件について平成11年7月22日にした審決を取り消す。
訴訟費用は被告の負担とする。
2 被告
主文と同旨の判決
第2当事者間に争いのない事実
1 特許庁における手続の経緯
原告は、第5類「薬剤」を指定商品とし、「カプトロン」の片仮名と「CAPTORON」の欧文字とを上下2段に横書きして成る商標(平成7年6月12日登録出願、平成9年7月4日設定登録。登録第4020426号、以下「本件商標」という。)の商標権者である。被告は、平成10年7月31日、本件商標の無効審判を請求したところ、特許庁は、同請求を平成10年審判第35358号事件として審理した結果、平成11年7月22日、「登録第4020426号商標の登録を無効とする。」との審決をし、その謄本は、同年8月30日、原告に送達された。
2 審決の理由の要旨
審決の理由は、別添審決書写し記載のとおりであり、指定商品を第1類「化学品(他の類に属するものを除く)薬剤、医薬補助品」とする「カプトリル R」の登録商標(昭和60年12月9日登録出願、昭和63年7月22日設定登録。登録第2068627号)及び指定商品を同じくする「CAPTORIL R」の登録商標(上同日出願、上同日設定登録。登録第2068628号)が被告の医薬品に使用するものとして周知であり、本件商標がこれと類似し、本件商標を医薬品に使用した場合には、被告の業務に係る商品と混同を生じるおそれがあり、本件商標が商標法4条1項15号に違反して登録されたものであるとして、本件商標の登録を無効にすべきであるというものである。
第3審決の取消事由
審決は、本件商標と被告の使用する前記各商標(以下「引用商標」という。)との類否の判断を誤り(取消事由1)、また、被告の業務に係る商品と混同を生じるおそれの存否の判断を誤った(取消事由2)ものであるから、取消しを免れない。
1 取消事由1(類否の判断の誤り)
(1) 「カプトロン」、「CAPTORON」、「カプトリル」及び「CAPTORIL」は、いずれも全体として一体に称呼を生じる造語であって、「ロン」、「RON」、「リル」及び「RIL」は接尾語ではないから、「カプト」及び「CAPTO」の部分が分離されて称呼を生じるものではない。「カプト」及び「CAPTO」の部分を分離して本件商標と引用商標を対比することはできない。
(2) 「リル」は、いずれも、子音「r」を含む弾音で舌先を歯茎に付けて発声する強音から成り、明瞭に発音される。「ロン」は、子音「r」を含む強音である「ロ」と撥音「ン」が一連に強く明瞭に発音され、両者の母音も相違する。したがって、両者は、明らかに聴別される音である。
(3) 医薬品について、誤投薬を避けるために一般名に近似する商標を選択する際、語頭音を共通にさせ語尾部分で自他商品の識別をしている場合が多く、医師等は、商標の語尾部分に注目して商品を識別する実態にある。
2 取消事由2(混同のおそれの判断の誤り)
審決は、医療用医薬品の取引の実状、商品選択の実態を無視した結果、本件商標を医薬品に使用した場合に被告の業務に係る商品と混同を生じるおそれがあるとの誤った判断をした違法がある。
(1) 本件商標及び引用商標は、いずれもアンジオテンシン変換酵素阻害剤系の血圧降下剤であって、一般名が「カプトプリル」と称される医療用医薬品に実際に使用されている商標である。医薬品の商標は、厚生省の承認を要し、しかも、既承認品目の商標と同一の商標は、たとえ同一の製造業者であっても、他の医薬品に付すことは許されていないので、本件商標及び引用商標は、共に上記医薬品以外に使用することは、事実上できない。このような背景の下に、医療用医薬品の商標は、一般名に近似した名称が付される傾向があり、医師や薬剤師もこれを歓迎する傾向が強い。また、本件商標及び引用商標は、いずれも医師向け専用の医療用医薬品に関する商標であるところ、誤投薬を避けなければならない医師は、医薬品を処方するに当たり、多数の医薬品中から患者の症状に最も適した医薬品を間違いなく選択するため、細心の注意力をもって選別している。
(2) 引用商標及び本件商標は、共にアンジオテンシン変換酵素阻害剤系の血圧降下剤の一般名である「カプトプリル」と近似し、語尾部分である「リル」と「ロン」において明確に相違することにより、医師や薬剤師は、両者が同種の薬効を有すること、前者が被告製、後者が原告製、又は少なくとも被告製でないことを知り、薬価も考慮に入れ、厳正な注意力をもって薬剤の選別をしており、混同のおそれはない。
(3) 引用商標の周知性について、審決は、これに係る売上高及び広告宣伝費の認定を誤っており、また、その認定が正しいとしても、引用商標の周知性を基礎付けるには足りない。
第4被告の反論
1 取消事由1(類否の判断の誤り)について
(1) 本件商標と被告商標を対比するに当たり、共通部分であり、語幹、語頭である「カプト」の部分を重視することは、商標の類比の判断に当たって通常の手法である。何ら意味を有しない語尾部分である「ロン」及び「リル」の部分が相違していても、この部分は、対比のうえで識別力の低く、両商標の類否に影響しない部分である。
(2) 両商標は、5音中称呼の識別上最も重要な語頭から始めの3音である「カプト」を共通にしている。そして、4音目の子音が「r」であり共通である。欧文字においては、8文字中始めの6文字を共通にしている。両商標は、明確に聴取され難い語尾の音が異なるのみであり、かつ、「ロン」はラ行舌音と弱音である撥音、「リル」はラ行舌音であるため、語尾音は一層不明瞭に発音される。それぞれの商標を全体として一連に称呼した場合、語幹が同じものであることから、語韻及び語調が極めて近似する。
(3) 医薬品において、一般名とかけ離れた商標を採用する例は多く、医師等が「リル」と「ロン」の語尾部分に注目して商品を識別するという取引の実態があるとはいえない。
2 取消事由2(混同のおそれの判断の誤り)について
(1) 医療用医薬品の流通過程において、医薬品卸業者等の取引者、病院、医院、薬剤師、患者が存在するが、そのすべての過程において商品が商標により区別されなければ、混同を生じるおそれがあるということができる。
(2) 医師、薬剤師であっても、商標が類似することにより医薬品の出所を誤認混同するおそれが存在する。患者は、医薬についての専門的知識を有しないので、その出所を混同するおそれは一層高い。処方箋薬であっても、患者は自己の服用する薬剤の出所には関心があり、商標によりこれを知るのであるから、類似の商標が付されることにより出所を混同するおそれがある。
(3) 被告商標は、本件商標の登録査定の時である平成9年5月7日において、被告の販売する血圧降下剤として、薬剤の取引者、需要者である医薬品卸業者、病院、医院、薬局、薬店、患者等に広く知られていた。
第5当裁判所の判断
1 取消事由1(類否の判断の誤り)について
(1) 本件商標は、「カプトロン」の片仮名と「CAPTORON」の欧文字とを上下2段に横書きして成る商標であり、「カプトロン」の称呼を生じる。引用商標は、「カプトリル R」及び「CAPTORIL R」であり、その要部は、「カプトリル」及び「CAPTORIL」であって、「カプトリル」の称呼を生じる。そこで、「カプトロン」の称呼と「カプトリル」の称呼について対比すると、両称呼は、いずれも5音であり同数の音節から成るところ、5音中の語頭から始めの3音であり比較的強く発音される「カプト」を共通にしており、また、4音目の子音も「r」であり共通しているため、両称呼は類似するということができる。4音目及び5音目である「ロン」及び「リル」の差異は、この部分が比較的弱く発音され、称呼全体において余り目立たないものであるため、両称呼の類似性に影響を及ぼすものではない。そうすると、本件商標と引用商標とは、その要部について称呼が類似し、全体として考察しても、両商標は類似するものと認められる。両商標が類似するとした審決の判断は正当である。
(2) 原告は、医薬品について、医師等が商標の語尾部分に注目して商品を識別する実態にあると主張し、確かに、本件商標と引用商標とが語頭の3音を共通にするほか、一般名「シメチジン」の医薬品について「シメチパール」、「シメチラン」及び「シメロン」の商標が(甲第6号証126、127頁)、一般名「トフィソパム」の医薬品について「トフィス錠」、「トフィソ錠」、「トフィール錠」及び「トフィルシン」の商標が(同4頁)、一般名「塩酸チアラミド」の医薬品について「チアラポロン」及び「チアラミドール」の商標が(同19頁)それぞれ使用され、他の医薬品についても同様の商標が採用されていることが認められる。しかしながら、上記「シメチジン」「トフィソパム」「塩酸チアラミド」等の医薬品についてみても、一般名とかけ離れた商標が少なからず採用されているうえ(乙第6号証)、被告ほか製薬会社8社について、その取扱いに係る全医療用医薬品の商標を見ると、一般名とかけ離れた商標が全体の7割以上に及んでいる事実が認められ(乙第57号証)、原告主張に係る語頭が一般名と同一である商標の例から直ちに、医療用医薬品について医師等が商標の語尾部分に注目して商品を識別する実態にあるとまで認めることはできない。
(3) また、原告は、「ロン」及び「リル」は接尾語ではないのに「カプト」及び「CAPTO」の部分を分離して本件商標と引用商標を対比した審決が違法であると主張する。しかしながら、審決は、「両商標が薬剤に使用された場合には、その構成中の『CAPTO』『カプト』の文字部分は、『ロン』、『RON』、『リル』、『RIL』の文字部分に比して自他商品の識別力が強く、商標として重要な要素を占めるものといえる。してみれば、被請求人が本件商標をその指定商品である『薬剤』に使用した場合には、前記認定の実情よりして、これに接する取引者・需要者は、『カプト』『CAPTO』の文字部分に着目し、該商品が請求人の取扱に係る商品であるかの如く誤認し、その出所について混同を生じるおそれがあるものと判断するのが相当である。」(甲第1号証12頁20行目~13頁4行目)と判断しており、審決が「カプト」及び「CAPTO」の部分を分離して本件商標と引用商標を対比したのではなく、取引者・需要者が「カプト」及び「CAPTO」の文字部分に着目することを混同のおそれの存否を判断するに当たり参酌したものであることが明らかである。原告の上記主張は、審決を正解しておらず、採用することができない。なお、本件商標と引用商標の類否を判断するに当たり、語頭の3音である「カプト」の部分が共通している点を参酌することは、商標の類否の判断に当たり当然に行うべきことである。
2 取消事由2(混同のおそれの判断の誤り)について
(1) 一般に、商標の使用によって商品の出所に混同を生じるおそれがあるかどうかを判断するに当たっては、当該商品の取引者及び需要者を基準として判断すべきであるところ、医薬品を服用し、又はその投与を受ける患者は、自らの意思と支出において医薬品を購入するものであるから、当該医薬品の需要者に当たるというべきである。したがって、医療用医薬品において、類似した商標が使用されることにより商品の出所に混同を生じるおそれがあるかどうかは、医師、薬剤師等の医療専門家のみならず、当該医薬品を服用し、又は投与を受ける患者についても、これを参酌すべきものと解するのが相当である。これと異なる原告の主張は、採用することができない。本件において、本件商標と引用商標は、前記のとおり相当程度類似しており、医師、薬剤師等の医療専門家についても商品の出所について混同を生じるおそれがあるということができ、患者については、一層、そのおそれが高いということができる。上記混同を生じるおそれがあるとした審決の判断は正当である。
(2) 原告は、医薬品の商標が厚生省の承認を要すること、医師が医薬品を処方するに当たり細心の注意力をもって医薬品を選別していることを主張するが、本件商標と引用商標の類似性の程度に鑑みると、医師であっても商品の出所について混同を生じるおそれがあるということができ、患者にあっては、そのおそれは一層高いということができるのであって、仮に、原告主張の上記事情が認められるとしても、上記混同を生じるおそれがあるとする判断は左右されない。また、原告は、両商標が共にアンジオテンシン変換酵素阻害剤系の血圧降下剤の一般名である「カプトプリル」と近似し、かつ、語尾部分である「ロン」と「リル」において明確に相違することをいうが、前記のとおり、両商標の語尾部分が称呼全体に与える印象はさほどのものではなく、医師や薬剤師が上記語尾部分に注目して商品の出所を判断するという取引の実情にあるとも認められないことから、この点に関する原告の主張は、いずれもその前提を欠くものであって、採用することができない。
(3) 引用商標又はその要部である「カプトリル」の商標を付した被告製品は、昭和59年から平成6年まで、薬価ベースで年間100億円を超える売上高であったこと(乙第1号証)、当該商品は、血圧降下剤市場において、昭和59年から昭和62年にかけて、30%以上の市場占有率を有していたこと(乙第5号証)、被告は、当該商品の宣伝広告のために、平成元年から平成5年まで年間1000万円以上を支出し、医事関係者を対象とする雑誌に広告を掲載していたこと(乙第2~第5号証、第8、第9号証、第11~第26号証)、昭和58年から平成8年にかけて薬局等を対象とする雑誌等に、カプトプリル製剤としては、当該商品のみが紹介されていたこと(乙第43~第52号証)、カプトプリル製剤として、当該商品以外の商品が薬効別薬価基準に登載されるようになったのは平成9年以降であること(乙第28~第38、第54、第55号証)に照らすと、引用商標を使用した被告の製品は、本件商標の登録査定がされた平成9年5月7日において、被告の販売する血圧降下剤として、薬剤の取引者、需要者である医薬品卸業者、病院、医院、薬局、薬店、患者等に広く知られていたものと認めることができる。これと同旨の審決の認定は、是認することができる。
(4) そうすると、本件商標は、周知の登録商標と類似し、本件商標を医薬品に使用した場合には、被告の業務に係る商品と混同を生じるおそれがあるということができ、その旨の審決の認定判断は、正当というべきである。原告の主張は理由がない。
3 以上のとおり、審決の取消事由についての原告の主張はいずれも理由がなく、他に審決を取り消すべき瑕疵は認められない。
よって、原告の請求は理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法7条、民訴法61条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 田中康久 裁判官 長沢幸男 裁判官 宮坂昌利)